• 吉田地区の活性化を目指して

大型商業施設の誘致

昭和60年、吉田商工振興会では、再開発事業基本計画で示された開発区域内の商業施設について検討するため再開発特別委員会が設置され、検討の結果、大型店の誘致を決定しました。更に、誘致する大型店を松電商事と決め、既成同盟会に報告、長野市、長野商工会議所に期成同盟会と連名で報告をしました。

翌昭和61年、吉田商工振興会では、会員に再開発区域内の商業施設についてアンケートによる意識調査が行われました。

再開発事業の進捗にともない、再開発準備組合により地元専門店の募集が行われ、地元吉田からは14店の出店希望者がありました。

昭和63年、松電商事が突然再開発ビルへの出店を辞退し、ながの東急グループが出店表明をしたことを受けて、再開発特別委員会はこれを承認、ながの東急グループ「ながの東急ライフ」の出店が決まりました。

北長野駅前B1地区再開発事業

ながの東急ライフに引き続き、隣接の仁科工業、長野市農協を中心とした地区に再開発事業が始まり、再開発事業基本計画にそって、吉田公民館、吉田連絡所の移転、長野市保健センター、デイサービスセンター、児童センターの新設が決まり、長野県住宅供給公社の分譲住宅が入居することになりました。

地主の事情で平成5年に本町の商工会館の移転を余儀なくされた吉田商工振興会もビル2階に入居することになりました。

平成6年の再開発組合設立後、翌7年工事着工となり、平成9年10月に完成しました。この再開発事業により、長野電鉄を南北にまたいだ自由通路ペデストリアンデッキが完成、信濃吉田駅が橋上駅になり、南からも直接吉田駅に行けることになりました。我が吉田商工振興会は、4年間の仮事務所生活を経て、平成9年11月B1地区「ノルテながのビル」に新事務所を構えました。

再開発事業「ながの東急ライフ」の完成

再開発事業は、昭和62年の本組合設立後、平成元年建設工事に着手、翌平成2年工事竣工「ながの東急ライフ」が開店しました。

種々の事情により地元吉田からの出店者は5店となりましたが、ながの東急ライフとの協力関係を維持しています。

ながの東急ライフは、吉田地域活性化の第一ステップとして完成しました。

吉田の商店街活性化の今後

昭和54年の吉田商店街近代化報告の提案を発端として、11年経過し「ながの東急ライフ」という起爆剤ができ、更に7年を経て、コミュニティ施設、住宅、利便施設としての自由通路を有したB1地区再開発事業が完成しました。

吉田地区商店街の活性化、近代化は時代に合わせながら再開発事業その他の整備手法をとりいれつつ一歩づつ階段を上がっていきます。